近江の国 [旅]
近江八幡なんと響きのよい言葉ではないか。風通しの良い土地柄である。織田信長豊臣秀次ら傑出した人物によりつくられた郷土である。もちろんはるか縄文時代から豊かな土地柄でもあったようだ。一生懸命働く者が報われるそんな優しい土地柄のように思われる。そんな空気を吸うことができる。地域によって人々の気質は違う。もちろん国によってはさらに違うのであろう。人は自分の生まれ育った土地に一生住むことが一番幸せだといわれる。ここに住む人たちはとくに幸せだと思う。商業という資本主義の浄化機能が常に澱みなく町を発展させている。質素倹約、質実剛健、信用を第一とする近江商人気質がよき自治を形成していると思えてならならない。1万5千年前から豊かな人の住む土地柄だったのだろう。それを今に見ることができる。昔も今も。一生懸命働いたものが豊かになる。当たり前の平等がここの人々を豊かにしている。地域全体が豊かに思えてならない。ここの人々の気質が好きだ。みんなが一生懸命働いている。人をうらやむわけでもなくひがむわけでもないがすてきな自治体である。郷土愛がある。不平不満の少ない地域なのだろう。みんなが思いやるから。風通しの良い町である。役人も民百姓も郷土愛がある。中央からよそ者がこないからなのかもしれない。自治体という言葉が実にふさわしい郷土である。
郷土資料館の栞には以下のようにある。
近江八幡開町の歴史
近江八幡市は、大中ノ湖や宮ヶ浜などの湖辺から数多くの石器土器が出土していることや、古墳や遺跡も数多く発見されていることから、縄文時代の早くから開けていたと考えられる。
その後、天正13年豊臣秀次によって八幡山下町が開町された豊臣秀次は八幡山頂に城を城を城を築き、「八幡山下町中掟書十三ヶ条」を城下町に下している。楽市楽座など独自の町政をしいた。
町西側は商業地区、北部は職人の町と配置されており、この町づくりがのちの八幡商人排出の基盤となった。
そして開町から10年後、八幡山城は廃城となるが、近江八幡の町民によってその後も商業都市としての発展を続け、江戸時代を通して八幡商人の本拠地を確立していった。
当館資料は買って海外で活躍した近江商人・西村太郎右衛門邸跡に昭和49年3月1日に開設され、城下町の面影を残す町並みが保存されている。旧市街の中心・新町通りに位置し、八幡商人の故郷としての歴史をうかがい知ることができる、とある。
駿府藩
近江とともに
豊かなる
地方は自冶
いらぬせっかい
by churaumi (2015-04-23 23:58)