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源光庵 [文化]

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源光庵 由緒ならびに縁起 当山は鷹峰山寶樹林源光庵と号し、今より六百六十余年前の貞和二年臨済宗大本山大徳寺二代徹翁国師の開創によるものであるが、元禄七年加賀大乗寺二十七代卍山禅師が、当寺に住持せられ、これより曹洞宗に改まったのである、と栞にはある。丸窓から見る悟りの窓、四角い窓から見る迷いの窓、天井は手形足型の見える血天井。この本堂内の血天井は、伏見桃山城の遺構であり、慶長五年七月徳川家康の忠臣鳥居彦衛門元忠一党千八百人が、石田光成の軍勢と交戦したが、武運拙く討ち死にし、残る三百八十余人が自刃して会い果てたときの痕跡である。当寺は、徳川家との密接な関係により、当寺本堂再建の際、伏見桃山城の床板の一部を移したもので、これら諸兵の菩提を弟って居り、現在文化財として維持している。今様太閤を最後に、国には元忠のような国をおもう士はみえない。大小の明智ばかりが、見えてならない。一国一城の主たるものの末代に伝える、死に方というものの尊さが祭りごとに求められている。元忠はそう教えているように思える。国や主君を売ってはいけないのである。


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