南陽院 [日本文化]
東山区今熊野日吉町地区は、古くは愛宕郡鳥辺郷と呼ばれていました。永暦元年後白河院が平清盛に命じて紀州熊野権現を請来、以来、新熊野神社の創建にちなみ新熊野村と呼ばれるようになりました。現今熊野。
古来、東大路からこの地域に至る路を醍醐街道瓦坂といい、この地は俗称で蛇ヶ谷(ジャガタニ)ともいわれていますが、その瓦坂という名は平安京造営のためここで瓦を焼いたことによる。日吉町の名の由来でもある豊臣秀吉の墳墓がある京東山三十六峰の一つ、阿弥陀ヶ峰の西南麓に広がるこの地、西荷仁太松により初めて陶業の窯が開かれたのは大正2年、以来京焼・清水焼の主要産地として現在に至り、食器、花器、茶器等を産出、伝統技法を守る窯元が点在しております。この阿弥陀ヶ峰の山麓に点在する窯元を日吉釜と呼んでいます 。
今日は南陽院で日吉釜の窯元と嵯峨御流華道の先生とのコラボである。茶室でいただく主茶碗も時々ここの窯元の作品に出会うことがある。あの先生の作陶だなと思うとき、よりお薄が身近に感じられる。黒楽大樋の赤黒で頂くことが多いが二服目に馴染みが出るとき席主の配慮に感謝である。路地の手入れに始まるおもてなし。あの顔この顔、たくさんの社中さんにも感謝である。窯元もまた茶会で自分の作品に出会う喜びもあろう。今日は広い縁側で素晴らしい庭を見ながら一服いただく。静かに時が流れる。ありがたいもてなしである。皆さんがいつまでもお元気で、催しを続けてほしく思います。出会いとはありがたいことである。茶会は一期一会。感謝しております。今日は点てだしのお手伝い、茶筅振りをさせていただきました。美味しいお弁当もちょうだいいたしました。楽しく一日過ごさせて頂きました。生きて今有り難いときのうつろいのなか、感謝です。
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