さんさく [散策]
鷹峯徳川家康より拝領したこの地に五十七才の光悦はその文化を創り上げている。一門知友とともに法華の寺院を中心にそれぞれに別邸を構えさせた村を開拓風流三昧の暮らしを始める。里山とは少し趣を異にするように思える。往時にここにあれば本物の文化と接することができたであろう。文化を創造する人間とふれあうことができたであろう。この地を歩きこの地の人となりに接する。それが農民であれ商人であれ役人であれ、それは鷹峯がはぐくんできた文化の継承者である。生活の中に光悦の芸術が常態化しているからであろう。茶碗1個が語るものはおおくはなかろう。作陶による人となりを見ることは僅かであろう。また無機物が与えるものは一面であろうか。芸術品が茶碗1個が命を持つときはその茶碗が有るべき人の手の中にあるときなのだろう。伝来という言葉の持ついぎはおおきい。国宝の中に人間国宝がある。我々は等しく国宝に、人間国宝に接する機会がある。常に想うことは、沿える人でありたいと思うことである。優れた文化に接する機会があるだけでもなんと有り難いことであろう。しっかりと五感で触れながら、自らの音も出さず過ぎることがこの文化への気遣いであろうか。今日の一日を感謝いたします。
だんご [散策]
うまい。茶会の後は常照寺光悦寺近隣を散策。紅葉の季節柄か人も多い。この里でつくられた野菜果物お漬物が売られている。団子も餅もある。うまそうな丸もち。杵つきがいい、歯ごたえのあるよぉく伸びる伸びる少しざらつきがあるそんな餅が好きだ。私にはそう見える、千枚漬けにすぐき、かぶらなどもある、やはり気になる口上はこの里でつくられたということだろう。数人のお年寄りが楽しげにのんびり店に立つ。里山の茶店の風情。短歌でも詠むそうな人たちに見える。こうなるとたくさん買って相手を喜ばせようと気が高ぶるもの。これもあれも、みんなくれとなってくる。売り手も買い手もずいぶん楽しいやり取りでいい気分だ。買ったはいいが持って帰るにはずいぶん重たいものになってしまった。店先で団子を戴く。やっぱりうまい。素朴だが素材がいい。一手間かかったうまい団子である。いい寄り道であった。
直指庵 [散策]
お食事処北嵯峨
北嵯峨細谷 直指庵 窓近き竹の林は朝夕に 心をみがく種とこそなれ 津崎村岡局 栞にはこうある。天明六年の拾遺都名所図鑑ぬは、大伽藍を連ねた壮大な直指庵の全景が載せてある。臨在禅を学んだ独照性円が南禅寺栖雲庵から正保3年に北嵯峨細谷に草庵を結んだのが始まりである。独照は、枯松の枝が地に落ちるのを見て見て大悟し、直指人身の旨を守って庵を「直指庵」と号した。独照が明の高層元に黄檗禅を学び、隠元を直指庵に講じてからは、伽藍を建立するなどし、直指庵は大寺院になった。独照の弟子、月潭はこの直指庵の二世となり詩文をよくして、高層の名を高めたがその後は法嗣が衰え、独唱の墓堂を存するだけとなった。幕末の頃、近衛家老女津崎村岡局がこの直指庵に入り、再興、浄土宗の寺として、土地の子女をの訓育につくし現在に至る。嵯峨でもっとも北に位置する竹林に囲まれ、心が洗われるところです。本堂 思い出ノート モリアオガエル 開山堂 津崎村岡局の墓 水子地蔵尊 思い出草観音像 二河白道の庭 秋明菊 日本石楠花 一本の木に紅白の桃などの見どころがある。本堂から正座してみる山は風雅である。参拝者はいるのだが声もない風の音が葉擦れのささやきが耳元に届きそうだ。参拝者の気づかいが見える。この庵の風情をここで感じてほしいと思います。この文化に沿える人でありたい。
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